手から手に伝わる小さな愛が 大きな喜びとなって花開く時
心にときめく幸せの感動が家庭を包みます
手のひらの愛 真多呂人形
2022年03月14日
真多呂人形(木目込み)の由来
真多呂人形の由来
今からおよそ280年前の江戸元文年間に、
京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重が作った人形が
「木目込み人形」の始まりとされています。
現在の木目込み人形は、明治以降様々な変化を経て発展しました。
東京の人形師・吉野栄吉が京都から木目込みの技術を持ち帰り、
これに改良を加え、現代木目込み人形の基礎を築きました。
初代金林真多呂は栄吉の息子の喜代治に師事、新たに創意工夫を加えて、
独自の雅やかな真多呂人形を完成させたのです。
上賀茂神社から木目込み人形の正統伝承者として認定を受けているのは真多呂だけです。
「木目込み人形」の技を継ぎ、磨き上げられた伝統技法を現代に伝えるのが真多呂人形です。
大正8年創立の真多呂人形は、
江戸時代の元文年間からおよそ280年受け継がれてきた伝統工芸品であります。
木目込人形は、
桐の粉と糊を混ぜ合わせた桐塑 (とうそ)という素材の体型に着物を着付ける溝を彫り、
その溝に目打ちやヘラで糊を入れ、木目込みヘラでその溝に布端を差込みして作ります。
伝統的工芸品とは?
経済産業大臣指定 伝統的工芸品の技
技を継ぎ、磨き上げられた伝統技法を現代に伝える、
真多呂の木目込み人形
数々の工程を重ね、職人の丹精こもる技から生まれる雅やかな逸品は、
伝統工芸品として指定され、高い評価を得ています。
真多呂人形(木目込み人形)が出来るまで

今からおよそ280年前の江戸元文年間に、
京都の上賀茂神社に仕えていた高橋忠重が作った人形が
「木目込み人形」の始まりとされています。
現在の木目込み人形は、明治以降様々な変化を経て発展しました。
東京の人形師・吉野栄吉が京都から木目込みの技術を持ち帰り、
これに改良を加え、現代木目込み人形の基礎を築きました。
初代金林真多呂は栄吉の息子の喜代治に師事、新たに創意工夫を加えて、
独自の雅やかな真多呂人形を完成させたのです。
上賀茂神社から木目込み人形の正統伝承者として認定を受けているのは真多呂だけです。
「木目込み人形」の技を継ぎ、磨き上げられた伝統技法を現代に伝えるのが真多呂人形です。
大正8年創立の真多呂人形は、
江戸時代の元文年間からおよそ280年受け継がれてきた伝統工芸品であります。
木目込人形は、
桐の粉と糊を混ぜ合わせた桐塑 (とうそ)という素材の体型に着物を着付ける溝を彫り、
その溝に目打ちやヘラで糊を入れ、木目込みヘラでその溝に布端を差込みして作ります。
伝統的工芸品とは?
経済産業大臣指定 伝統的工芸品の技
技を継ぎ、磨き上げられた伝統技法を現代に伝える、
真多呂の木目込み人形
数々の工程を重ね、職人の丹精こもる技から生まれる雅やかな逸品は、
伝統工芸品として指定され、高い評価を得ています。
真多呂人形(木目込み人形)が出来るまで

2009年01月21日
加茂人形の復元
加茂人形(木目込み人形)を復元してつくりました
この写真は佐賀城本丸歴史館に 展示した時のものです



加茂人形(木目込み人形)の由来
江戸時代中期 元文年間(1736~40)の頃
当時 京都 上賀茂神社の社家の一つであった
堀川家に 仕えていた 高橋忠重という人が
神社の祭り事に使われる 加茂川の柳の木で作った 柳筥(やなぎばこ)という
筥の残りで作ったのが この人形で
加茂人形 加茂川人形 柳人形 と呼ばれていました
当時の加茂人形は 5~10センチ程度で小さく
衣装も 神宮の 余り着れのようなものだったとか?
また 題材も 神宮・武家・町民・動物。など‥で
色彩的にも地味なものが多かったようです
当時は江戸に持ち帰る お土産の一つとして
たいへん珍重されていたようです
この写真は佐賀城本丸歴史館に 展示した時のものです



photo by y.hidaka
加茂人形(木目込み人形)の由来
江戸時代中期 元文年間(1736~40)の頃
当時 京都 上賀茂神社の社家の一つであった
堀川家に 仕えていた 高橋忠重という人が
神社の祭り事に使われる 加茂川の柳の木で作った 柳筥(やなぎばこ)という
筥の残りで作ったのが この人形で
加茂人形 加茂川人形 柳人形 と呼ばれていました
当時の加茂人形は 5~10センチ程度で小さく
衣装も 神宮の 余り着れのようなものだったとか?
また 題材も 神宮・武家・町民・動物。など‥で
色彩的にも地味なものが多かったようです
当時は江戸に持ち帰る お土産の一つとして
たいへん珍重されていたようです